「すべてを信じてしまう私」――その背景と、心を守る“ちょうどよい信頼”とは?

こんにちは。保健師でカウンセラーの下園です。
今日は「安心に飢えている状態」というお話です。

■ こんなこと、ありませんか?
・人を疑うなんて失礼だから、相手を信じたい。
・でも、あとで「やっぱり違った」と傷つくことが多い。
・裏切られるたびに、「なんで自分ばっかり…」と感じてしまう。

「相手のことを疑わず、すべてを信じてしまう」。 一見すると、とてもやさしく、誠実な姿勢のようにも見えます。

けれど実は、“心の奥にある“傷つきやすさ”や”安心への飢え“がそうさせていることがあります。


■ なぜ、すべてを信じてしまうのか?
「信じる」というのは本来、相手を見極めたうえで“選ぶ”行為です。 でも、過去に人との関係で深く傷ついた経験があると、こんな心理が働くことがあります。

● 安心を一気に取り戻したい  
トラウマや孤独のなかにいた時間が長かった人ほど、「やっとわかってくれる人があらわれた!」と感じた相手に、心の全部を預けたくなります。

● 見捨てられたくない  
疑ったり、自分の考えを出すことで関係が壊れるのではと不安になり、「信じ続けることで関係を保とう」とする無意識の努力。

● 自分の直感や判断を信じられない  
過去に「信じて失敗した」「疑って後悔した」経験があると、自分の感覚より“相手の言葉”にすがってしまうこともあります。


■ 「信じる」って、本当はどういうこと?
本当の“信じる”とは、相手のことも自分のことも、同じくらい大切にすること。
・相手をよく見て、感じて、
・ときには「わからない」と感じることもそのまま受け止めて、
・少しずつ関係を育てていくことです。

つまり、「疑わないこと」が信じることではなく、 「関係のなかで確かめ合う」ことが、信頼を育てるのです。


■ どうすれば、“ちょうどよく信じる”ことができる?
◎ 1)「一気に信じない」を許す  
「好きだけど、まだ全部はわからない」   
そんなグレーな感情をもっていていいのです。

◎ 2)自分の感覚に戻る練習をする  
「この人と一緒にいると、私はどう感じている?」   
疲れていない?無理していない?   
相手のことばかりでなく、自分の感覚にも意識を向けてみてください。

◎ 3)「自分も相手も間違うことがある」前提で関わる  
信じる=完璧な人間像をつくることではありません。   
「違ったら、また話し合えばいい」という姿勢が、心の柔らかさにつながります。


■ おわりに
「すべてを信じてしまう私」を、責める必要はありません。
むしろ、それは「人を信じたい」「つながりたい」という、大切な気持ちのあらわれ。

ただ、その“信じたい気持ち”を守るためにも、「疑う」ことではなく、「確認する」「境界を持つ」ことを学んでいけたら、 心の傷はゆっくり癒え、もっとラクに人と関われるようになります。

あなたがあなたの味方でいられますように。 そのための一歩を、今日ここから一緒に考えていきましょう。

Follow me!